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映像・演劇・声優用オリジナル脚本から抜粋

原作『声優愛好会にはアイがなくっちゃ♡』⑦

声優倶楽部05'
 夏の陽は長い。
 ようやく空に夕焼けがかかったのは、午後の6時を回ってからだった。
 ユオ校の校舎内も薄暗闇の空間が目立つようになった。夏休みを迎えて生徒の数はほとんどない。少し遠くで蝉の鳴き声が聴こえる。
東京では蝉は昼夜問わず鳴いている。それは人が自然を破壊した象徴のような気がして、知らぬ者が聴けば気持ちが悪いかもしれない。しかし、住民たちはそのことに一切気づくことはない。その歪さは人の心の変質となって表面化するのかもしれない。
「……本当にやるのか?」
「さあね。俺は存ぜぬところだって言わなかったか?」
「……」
 それは機材に囲まれた防音室の中と外の会話だった。
「俺はただいつもの通り、ここでマイクを使った練習をしていただけさ。サポートをお前にお願いしてね」
「ああ」
「そして、それはつつがなく終わる。何も問題は起こっていない。だって俺は何も見てないんだから」
「お前は・・本当に狡いな」
 忌々しげな口調で男は答えた。しかし、それに応じる男の口調はあくまでも涼やかだった。
「そうかい。でも話しを持ち込んだのはお前の方だと記憶しているが?」
「……ああ、そうだよ」
「じゃ、好きにすればいい。どちらにせよ、俺は何も見てないから」
「……ちっ」と小さく舌打ちしつつも防音室の外で機材と睨めっこしていた男は兼ねてから考えていた行動に移った。それを防音室の中の男は目の端で追いつつも咎めることはなかった。 彼は何も見ていないのだから。
 翌日、ユオ校声優部に小さな騒動が巻き起こった。
 部室の一つ(稽古場と本部室と録音室の三つを持っている)である録音室から予備の録音機材が消えていたのだ。
 それは最小限の被害であることから、とりあえず声優部は公けにすることを控えた。もしかしたら内部の犯行の可能性もあるからだ。そんなことよりも今は夏休みをどう有意義に使うかの方が先決、と顧問である町井と部長の弓流は結論付けた。
 以降、機材盗難事件が表だって話題に上ることはなくなった。
 その事件が再熱して激しく燃え上がったのは、それから一週間後のことだった。
 
 
 声優部に小さなさざ波が立っていた頃、そんなことが起こっていることなど知る由もない僕は行きつけのゲーセンにいた。
 好きに時間を過ごすことを許したのだから何の問題もないはずだったが、僕の心の底には微かな罪悪感があった。何故なら、今日は終業式があった日ではなく、その三日後だからだ。
 僕はずっとここに入り浸っていた。人間が堕落するまでの速さと簡単さに他人事のように驚きを覚える。怖いのは、それを改めるきっかけを失っていることと、それに対する嫌悪感が全くないことだ。多少の罪悪感はあるものの、怠惰への誘惑に打ち克つ力などなかった。
 そのことを自覚しつつも僕はお気に入りの対戦型オンラインゲームにうつつを抜かす。僕がよくやるのはサッカーゲームとクイズゲームだ。そしてこの三日間はサッカーゲームに時間とお金を費やしている。
 それというのも今は店内イベントが開催されていて、その順位によってゲーム内を有利に進める賞品が用意されているからだ。
 もう少しで上位に食い込めるのだけれど、ここからがしんどい。当然、周りも強敵揃いで負けが込みはじめる。しかし、手持ちのカードではどう構成してもこれ以上の戦力アップは望めなかった。更には、イベント期間が終わる前に僕の財布のタイムリミットが近づいていた。
 そして、上位進出の可能性を託した最後の試合が終わった。
 スコアは3‐5。
 ミドルシュートを3本放り込まれては善戦した方だけど、負けは負けだった。
プレミアムカードの存在が憎い。どうして僕の元には現れてくれないのか。
 ゲーム終了後に出てきたカードもすでに持っている屑カードだった。
「はぁーあ……」
 と上位進出ならなかった悔しさとゲームに対する理不尽な憤りを吐き出した。
 残っているのは、激しい自己嫌悪だけ。いくらゲーム上で上位ランクにいたからといって、それは現実世界ではほとんど役に立たない。ゲームを知っている友人に自慢できるぐらいだ。
 そんなゲームにのめり込んだ結果、僕の前に残された現実は、三日間、無駄に過ごしてしまった自分への怒りと前借りした8月分のお小遣いを全て使い切った悲しみだけだった。
――……何やってんだろ。
 もうこの空間にいたくなかった。しばらくゲームを忘れようと、行きつけのゲーセンを後にする。電車代までつぎ込んでしまい、帰りは徒歩で二時間コースだがもうそれは慣れっこだった。中学時代に何度同じことをしたことか。
――そういえば高校に入って初めてか。
 と少し驚く。
 ゲームより楽しいものを見つけたのだろうか。
 それは分からなかったけど、中学時代の自分より今の方が少しだけマシになっている気がして、若干、気が紛れた。
「どうせだから次の脚本でも考えながら歩くか」
 その発想は中学時代と似たようなものだ。妄想から脚本作りに変わっただけ。そして、それを考えているうちに家について、ゲームのことも忘れてしまう(だからまた同じことを繰り返していたのだけど)。しばらくして、良いアイディアが頭に浮かんだのだけれど、それが具体化される前に中断を余儀なくされてしまった。
予期せぬ突然の出会いがあったからだ。
「あら、偶然ね」
 凛々しい微笑みを浮かべた声優部の戦乙女の姿。
 夕焼けを背景にしたその微笑みを前には、僕でなくとも心を奪われたはずだ。
「……ぁ……」
 挨拶をしようと思ったものの言葉に詰まる。そういう性分だったし、見惚れていたこともあったけど、それだけが理由ではなかった。
 あの時の答えをまだ出していなかったことを思い出したからだ。
「久しぶり。今日は倒れないでくれよな」
 柔和な笑みを浮かべて副部長の社が軽く手を振った。
「からかうのはやめなさい。ごめんなさいね。気を悪くしないで。この人はこういう人だから」
「酷いなぁ。まるで僕が普通じゃないみたいな言い方だ」
「普通じゃないわ。声優としては褒め言葉でしょう?」
「確かに。でも部長から言われると複雑ですね」
「はいはい」
 軽く受け流す弓流。社の口調が軽いのだからそれは当たり前の反応なのだけど、社の言葉の裏にはもっと重いものも込められている気がした。
――脚本を考えすぎて深読みするようになったかな。
 と自分を客観的に見ることでようやく少し落ち着いた。
「・・それで、紅葉君」
「は、はい」
「この前の答え、聴かせてもらっていい?」
 弓流の真っ直ぐな瞳が僕を捉えていた。
 何故かとてもドキドキする。
 その瞳がとても綺麗だからだろうか。
――僕には他に好きな人がいるのに……!
 一瞬、自分への嫌悪が浮かぶが、それでも先の感情を否定することはできなかった。
「……この前って、声優部への勧誘の話しかい? まだ訊いてなかったんだ」
「ええ。愛好会でのお仕事がひと段落してから、と思って。・・もう自分の時間は持てるようにはなったでしょう?」
 後ろの言葉は僕へ向けられたものだった。
 二度三度と頷く。文化祭に向けての脚本はもう仕上がっている。
「じゃあ、改めて訊かせてもらうわ。紅葉君、私たち声優部に入部してくれるかしら?」
 真摯な瞳であの戦乙女が僕を見つめている。
 答えは、NOであるはずだ。
 でも僕はそれを言葉にすることができなかった。弓流の美しさに魅入られたわけでも、面と向かって断るのができなかったわけでもなかった。
 僕の心のどこかにまだ迷いがある。
 その迷いを見透かしたように弓流は言葉を重ねる。
「・・まだ迷ってるのね。いいわ。なら、分かりやすくいきましょう」
「え?」
「貴方の台本で私たち声優部も文化祭に臨むわ」
「? 部長、それじゃ、今やっている本の稽古が無駄に・・」
「いいの。いつでもやる機会はあるし、それほど魅力的な内容でもないでしょう。あ、今のは部長としてではなく、個人的な意見よ」
「なるほど。俺も個人的には同意見ですが、愛好会と同じ内容のボイスドラマをやったところで、かえってつまらなくなるんじゃないですか? それに愛好会側が了承するとも思えませんね」
「ん……。そうね。けど、解散になってから紅葉君が声優部に来ても遅い」
「というと?」
「元いた部員との軋轢が酷いでしょうし、何より、私が彼の本でやる機会がなくなっちゃうわ」
 声優部部長である弓流らしからぬ物言いに社が苦笑を浮かべる。その笑う瞳の奥には何か違う感情が隠されている気がした。
 話題の中心でありながら、紅葉を蚊帳の外にして続く会話は社が頷くことで結論が出たようだ。
「紅葉君。うちの部長の言葉を聴いたかい?」
「はぁ」
「気のない返事だな。彼女にあそこまで言わせるなんて、他の部員が聴いたら嫉妬の視線で焼き殺されてしまうかもしれないのに」
「……」
 じゃあ、貴方のその目が怖く見えるのは僕の気のせいですよね、と心の中で訊ねる。声に出すことなんてとてもじゃないができない。
「ま、冗談はさておき、声優部としては君の台本で文化祭の発表に臨みたい。でも、同じ台本では、優劣はつけやすいかもしれないけど、観客は面白くないだろう。愛好会もそんなことは望まないはずだ。彼らにとっては君の本の魅力だって武器なはずだから」
「そんな……」
 首を振ろうとする僕を社が片手をあげて制した。
「謙遜はいい。それは君の個性かもしれないけど、使い方を誤ると他人を苛立たせるよ」
「え」
「そのうち、分かる時が来る。ずっと分からないかもしれないけどな。・・話を戻そう。君の本をやりたいけど、仕上げたばかりの台本は使用権が愛好会にある。当然の話しの流れだ。だから対応も簡単」
「どうするのかしら?」
「単純な話しですよ、部長。彼にもう一本、新作を書いてもらえばいい」
「……!?」
 突然の話しの展開に僕は絶句した。
またあの地獄の日々を繰り返せというのだろうか。
よしんば、それを乗り越えたとしても、同じ期間(3か月)かかってしまったら文化祭が終わってしまう。
 そんな僕の意見を代弁するように弓流が口を開いた。
「何を言ってるの? 文化祭まで3か月を切ってる。少なくとも8月には新しい台本の稽古に入っておきたい。そのために今年は夏休みの活動を強化したのよ」
「ええ、勿論分かってます。あ、紅葉君、夏休みの活動強化を提案したのは俺だから。恨むなら俺を恨むよう愛好会には伝えておいて」
「え……」
「馬鹿にしないで。それは声優部の総意よ。もし、恨みたいというのなら、声優部の代表である私を恨めばいい」
「そいつは失礼。・・だそうだ、紅葉君」
 満足げな笑みを浮かべて社が僕へと声を向けた。弓流の答えが彼にとって予想通りのものだったからか。
 ただ、愛好会の面々が声優部を逆恨みしていることを前提に話しをしているのだけは否定したかった。それは僕の居場所を馬鹿にされている気がしたからだ。
 たどたどしくもその想いを口にする。
「は、はあ……。で、でも、愛好会のみんなは、口惜しがってはいましたけど、う、恨んではいませんでした。そ、それよりも短い収録日程をどう活用するかに考えをシフトしていたと思います。少なくとも会長と副会長はそうです」
「硝子姫と残念王子か。相変わらず手強そうだ」
「あら、そうじゃないと面白くないわ。勝負が決まっている賭けなんかに一生懸命頑張れないもの」
「へえ。意外とギャンブラーなんだね」
「私が好きなのは健全な賭け事よ。文化祭での勝負は声優部にとってレベルアップできる良い経験になる。勿論、私にとってもね」
 弓流の最後の言葉は紅葉に向けられたものだった。正確に言えば、声優愛好会へ、か。
「そうですね。俺もそういう機会には乗り遅れたくないな。だからこそ、紅葉君にはもう一本、本を書いてほしい」
「え? で、でも時間が……」
「あるよ。長編を書くのは難しいかもしれないがね。・・君が書き上げたばかりの今回の本をやるとしたら全長は何分ぐらい?」
「えっと・・大体ですけど、40分ぐらいでしょうか。一時間はかからないと思います」
「なるほど。じゃ、この前、見せてもらった本は?」
 『S・O・R・A』のことを言っているのだろう。けれど、実際、それを読んだ社ならば答えなくても分かっているのではないだろうか。
 そう訝しみながらも紅葉は応じる。
「た、多分、15分前後じゃないでしょうか?」
 その答えを予想していたように社が軽く頷く。
「そうだね。君はその本を当日の内に、正確に言えば二時間足らずで書いたそうじゃないか」
「……は、はい」
 随分と愛好会の内情に詳しいなぁと思いつつ、紅葉は答えた。
 あの時、「試しに台本でも書いてみない?」と副会長らに言われ、PCを渡された僕は、そのまま放置されて、初めての脚本作りに没頭した。
 自分が作ったキャラクターが喋り、動く。
 その初めての快感に酔いしれて、僕は時間を忘れてPCに想いを打ち込んだ。
 その結果、二時間で生まれた台本があの『S・O・R・A』だった。
「なら、同じくらい。希望を言えば、20分くらいの作品をもう一本作ってくれればいい。それなら短期間で脚本の制作が可能じゃないか?」
「……」
 社の言葉は確かに論理的だった。
 タイミングも絶妙だ。ちょうどやることもなくなり、愛好会の活動が始まるまでの残りの一週間を無為に過ごすことへ怖れを覚えていたときでもある。
 そしてさっき閃きかけたアイディアがある。それを形にしたいと思うのは脚本家として当然の気持ちだと思う。
 正直、悪くはないな、と思う自分がいた。何より、こんなに自分を必要とされることなんて、生まれて初めてといっても良かった。その期待に応えたいと素直に思った。
 ただ、自信がない。
 当然だ。まだ脚本を書いたのは二回の経験しかないのだから。
 答えに迷う僕を擁護するように、弓流が異論を唱えた。己の損得ではなく、相手の立場を考えたその態度に、知らず尊敬の念を抱く。
「そんな簡単なものじゃないでしょう。物を創るということは。良い物を創るためにはそれ相応の時間が必要だわ」
「俺はそうは思いませんね。時間をかけた物が良い物とは限らないし。時間をかけない物が悪い物だとも限らない。紅葉君の台本がそれを証明している」
「そうね。でも、それは決められた時間があったわけじゃない。好きに書いた結果、早くできただけよ」
 紅葉の心を代弁するその言葉に大きく頷く。そうか、僕はそう言いたいのかと。
――言葉を口にすることが苦手な僕には、こんな毅然な態度は逆立ちしたってできっこないんだろうな。
 僕の瞳には夕日の中でも輝くその凛々しき横顔が眩しく映っていた。
「その通りだとは思うけどね」
「なら・・」
「でも、そこに甘えていたらずっとそこにいるだけだ。次のステップに跳べるなら跳んでしまえばいい」
「紅葉君はまだ一年生よ」
「年は関係ないでしょう。それはプロの世界を知っている部長ならよくご存じのはずだ。どんどんステップを駆け上がっていった奴らの集まりがその世界です」
「……そうね。貴方のように」
「俺はまだまだヒヨっ子ですけどね。ただその場所に甘えてしまったら、もうその先にはいけない。年を重ねれば尚更ね。・・そういう人たちは嫌悪の対象でしかない」
 初めて社の柔和な口調に険が混じった。その表情は弓流に隠れて紅葉からはよく見えなかったが、弓流が一瞬たじろいだことから険しいものであると容易に想像はついた。
「それは人それぞれよ。貴方がそういう人たちを嫌うように。そうなることが罪悪だとは決して決められないわ」
「悪ですよ。俺にとってはね。でも、ま、部長の言うことの方が正しいのでしょう」
 ようやく社の言葉にいつもの柔和な口調が舞い戻った。
「・・ただ上に行く奴はごく一部の人間に限られている。だったら、普通であることはそれを邪魔することでしかないと思うな。普通を知っていた方が良いとは思いますけどね」
「参考にはさせてもらうわ。・・話しを戻しましょう。どうも貴方との話しは横道に逸れて駄目ね」
「俺は楽しんでますけど?」
「私も楽しくないわけじゃないけどね。・・それで紅葉君」
「は、はい」
 突然、水を向けられてどきっとする。二人の遣り取りは息が合っていて見ている人を引き込む。その話しの内容が面白いのだろうか。今は中身を理解することはできないけど、その時が来たらきっと分かる気がした。
「さっきの話しだけど、一度、本気で考えてみてくれないかしら?」
「えっと……」
「それとも愛好会の活動が忙しい?」
 その重ねられた問いには社が答えた。
「それはないでしょう。彼らの活動は8月に入ってから本格化するようですよ」
「あら、詳しいわね」
 その何気ない感想に同意するように頷いた。どうしてそんなに愛好会の事情に詳しいのだろうか。
――まるで、愛好会の会員みたいだ。
 と勘違い甚だしい感想を抱く僕の胸を他所に弓流は更に問いを重ねる。
「・・じゃあ、愛好会への義理立てかしら?」
 一瞬、胸がどきっとした。それはずっと考えていたことでもあったから。
 もし、僕が声優部のために脚本を書いたら、それは愛好会を裏切ることになるのだろうか。
――……多分、そうなんだろうな。
 あの時の遣り取りでほとんどの会員が不快に思うことが想像できた。
 それに声優部は愛好会の敵に回っているのだ。少なくとも文化祭での勝負が終わるまでは。そして、結果如何では声優愛好会は消滅する。客観的に考えればその可能性の方が高い。声優部に声優愛好会が勝てる可能性は限りなく低いと言わざるを得ない。それでも愛好会の面々が不安の一つも見せないのは何故だろうか。
 最初は、会長たちを信じているからだと思っていた。でも、それは違うみたいだ。たぶんだけど、その状況が楽しいからオールOKなのかもしれない。そんな楽観主義で大丈夫なのか、と冷静に思おうとしても不安は生まれなかった。
声優愛好会がなくなるなんて全く実感が湧かない。賭けに勝てばいいだけのことだと単純には思えなかったけど、そういうのは会長たちに任せておけばいいと簡単に思っていた。僕ら一年生にできることなんて大したことはない。僕ができるのは脚本を書くことだけだ。会長の言葉を借りるなら「それぞれが自分の仕事に全力を尽くせばいい。それが結果に繋がる」となるのだろう。それもアニメからの引用だったけど、僕の胸には会長の言葉として届いた。
 声優部に脚本を書くということは、そんな声優愛好会を裏切ることになるんだ。
 敵に対して塩を送るのは、アニメの中だったら格好良いかもしれないけど、現実世界では必ずしもそうとは限らない。いや、レア・ケースになるだろう。それに愛好会はただでさえ圧倒的に不利な状況に立たされている。どうして塩を送ることなどできようか。
 だから、あえてそのことをあまり考えないようにしていたのかもしれない。
 どこかで、声優部に脚本を書きたいと思う心がある。それはもう否定できない。自分が創った世界が声優部ではどう再現されるのか、興味があるんだ。
 あの時、まどろみの中で聴いた世界に僕は魅了されていた。
「形はどうあれ、誠意を尽くしている部長に返事をしないのは狡いんじゃないか?」
「あ……。す、すみません」
 思考の渦から呼び戻されても僕には消え入りそうな言葉で謝ることしかできなかった。
「すみません、か。便利な言葉だな。特に逃げるときには」
「社君!」
「言わせてください、部長。・・いいか、紅葉君。声優部は何も強制していない。ただ君を勧誘しただけだ。勿論、断る権利もある。しかし、君は答えなかった」
「……はい」
「それは迷っているからだろう? だから、部長と僕は分かりやすく愛好会と同じく君の台本を演じることで、どちらが君の世界を創ることができるか見せようと提案した」
「……」
 社の言葉に顔を青ざめながらも頷いていた。事実を語っているだけだからだ。でもそれはまるで糾弾でもされているかのような光景に違いない。もう勘弁してほしいと思っても社の追及は終らない。
「そして、それの答えもない。断るなと言ってなんていないのにも関わらず、だ。その態度はあまりにも失礼じゃないかと俺は言っている」
「あ、す、すみま・・」
「だから謝るな。イエスかノーか。答えは簡単だ。声優部への勧誘は何も今日、初めてしたわけじゃないだろう」
「は、はい……」
 返事をしつつも僕は答えを見つけられなかった。というよりも、見つけようなんて考えはまるでなく、ただこの場から一刻も早く逃げ出したかった。
 どうして僕がこんな目に遭うんだろう。
 あやふやな気持ちが溢れて、泣きたくなる。一言でも言葉を漏らしたら涙まで一緒に漏れ出してしまいそうだった。
「……もういいわ」
「部長」
「ここまでにしましょう。ごめんなさいね、紅葉君。貴方を困らせてしまったみたい」
「いえ、そんな、悪いのは僕の方で……」
「いいのよ。ただ私たちに悪気はないことだけは分かっていてほしいの。そして貴方を誘ったのは、元を正せば、ただの私の我が侭よ」
「え?」
「貴方の創った世界に惹き込まれただけ。だから、私もその世界に入りたいと思った」
 少しはみかみながら笑う弓流。
その笑顔を前に僕は自分を恥じた。
 だって、我が侭は僕の方だ。自分の都合ばかり考えて、相手のことを何一つ想像しようとすらしない。今も、ただ上手にこの場を逃げ出すことばかりを考えていた。
 弓流はいつだって真っ直ぐな言葉を僕に向けてくれていたのに、どうして素直にそれに応えることができないのか。
 狡いと言われた意味を僕はようやく理解していた。そして、その狡さの裏には自分自身への自信の無さが隠れている。素直な想いを吐き出せば、それと向き合うから・・怖いんだ。
――本当、狡いな。
 僕は心底、自分に嫌気が差した。自己嫌悪の穴に落ちそうになる。きっと一人だったら落ちたまま出られなくなっていたに違いない。けれど、今は目の前に僕を真っ直ぐ見る戦乙女の姿があった。
 夕焼けを背景にしたその立ち姿は、綺麗で、そして優しかった。
 その凛々しさに僕はどうしてか、あっさりと、自分でもびっくりするくらい、開き直ることができた。それは生まれて初めてのことだったかもしれない。
「・・紅葉君?」
 心が何処かに飛んでいた僕を、弓流の声が呼び戻してくれた。
 それに縋るように僕は己の想いを吐き出していた。
「……ぼ、僕も、部長さんの創る世界が好きです。あ、あの時、聴いた二人の芝居が・・わ、忘れられません」
「! ・・ありがとう」
 にこりと笑う弓流。
 その不意な包容力に、僕はたかが外れるように言葉を重ねた。考える前に想いを言葉にしていくその作業は、僕が昔に忘れていたモノだった。
「で、でも・・僕の居場所は愛好会なんです。そ、そこを失いたくない。なのに声優部で自分の作品が形になることを望んでいる自分がいて……。本当、狡いですね、僕は。こ、このことにさえ副部長さんに言われなければ気づこうとしなかった」
 溢れる涙が景色をぼやけさせる。けれど、それでも僕はそれを隠そうとしなかった。心の底を晒したのに、今更、涙を隠したところで何の意味がある。
無防備な今の僕の心なら、どんな些細な言葉でも、そこに刃が含まれていれば簡単に傷つけることができるはずだ。でも、弓流はそれをしなかった。
 ただ優しく笑う。戦乙女と呼ばれる彼女だけど、その姿に戦という冠はいらなかった。
「けれど貴方は気づいたわ」
「え……?」
 涙を拭うことさえ忘れて問い返す。滲んだ世界で戦乙女が凛々しくも真っ直ぐな瞳をこちらに向けている。
「いいじゃない。貴方がどう生きようとそれは貴方の人生よ。何より貴方の素直な言葉が聴けて私は嬉しい」
「え……」
 思いがけない言葉に僕はいつもと違う意味で呆然となった。
 それは自分の存在を受け入れられた感触。
 駄目だ、と思いつつも、そこに惹かれる自分がいた。
 それはどうしようもない事実。
 でも、素直に認めていいのだろうか。
 ここにも僕の居場所はあるんじゃないか、と思う僕がいた。
「俺は狡いことが悪いことだと思っていない。それは自分の本質なら受け止めて生きていけばいい。知らず、自分を誤魔化して生きていくよりずっとマシだからな。・・でも、素直な言葉が気持ちいいっていうのは俺も部長と同意見だな」
 いつもの笑みを湛えて社が言う。
 この時、僕は素直な想いを交わすことの気持ちよさを初めて知った。
「あ、あの、だ、だから……」
 中々、言葉にできない僕を、しかし、今度は二人とも黙って待っていてくれた。
 その優しさに僕は気づけるようになっていた。少しだけ、自分のことしか考えない自分から抜け出せるようになった気がした。
 その感触が後押ししてくれたのか、僕はようやく言葉を重ねる。
「・・書けるだけ書いてみていいですか」
「何を?」
「せ、声優部のための脚本です。でもそれとS・O・R・Aを渡すかどうかは愛好会で話し合って決めてもいいですか? 勿論、出来が悪ければ使うこともないでしょうけど」
 それは謙遜ではなく本心だ。だって、まだどんな話しを書くかも決めていないのだ。何より、脚本の面白さという基準が分からなかった。今は、たまたま書いた二本の作品が面白いと認められただけだ。次の本も同じように面白いと思ってもらえる自信なんて持てるわけがない。
 その葛藤に気づいているかのように弓流が、ゆっくりと頷く。
「ええ、いいわ。でもあと一週間でなんて大丈夫?」
「だ、大丈夫です。自信はないですけど、や、やってみたいんです」
「ふふ。男の子だな」
「茶化さないで」
「すみません。でも、俺はそういうの嫌いじゃないんで」
「あら、私もよ」
 顔を見合わせて笑う二人。
 まるでアニメのワンシーンのようなその光景に僕の口許からも笑みが毀れた。
 そうして僕もまたそのワンシーンの中の一人となる。
 演技もこういうことなのかな、と場違いな感想を抱く。この経験が後の僕自身の助けとなることを勿論、知る由もない。
 夕日が沈み、夜が空を染めていく。
 けれど、心の中で一度火が点いた何かが、僕の行き先を眩しく照らしている気がした。

・・・続く
2023年07月05日 15:19

原作『声優愛好会にはアイがなくっちゃ♡』⑥

声優倶楽部b04
どうして教師になったのか。
 その無意味で非生産的な疑問は、もう何度も繰り返し過ぎて、今ではその疑問を抱くことさえ飽きて無くなった。
 父と母が私に望む平凡な暮らしを私もまた望んだからか。
 少なくとも彼らと同じ道を歩むことだけはしなかった。したくもなかった。
 でも、だからといって、芝居自体を嫌いになったりしたわけではない。教師になった今も芝居の近くに我が身を置いている。ただし、演じ手側ではなく、指導者側として、だ。
 けれど、素直に演劇や映像の方を選ばなかったのは、一流役者である両親への意地のようなものがあったからだろうか。
――そんなもの。もうどうでもいいと思っていたけれど……。
 ユオ高こと優生高等学校教師である町井(まちい) ()()は机に手を置いて立ち上がった状態のまま、止まっていた。それは物想いに耽っていたからだが、周りからの目は違っていた。
 怒っている。もしくは、苛立っている。
 普段のずけずけと物を言う性格が災いしてか、周りから誤解を受けやすい教師だった。真面目で情熱もあるのだが、能力の高さと頭が良すぎるため、関わる人は劣等感を抱きやすいのだ。人によっては、自分が馬鹿にされているような錯覚さえ持つ。そのことに当人は気づいていない。当然、それが良い方向に作用することはないという答えに行き着くこともなかった。
 もう少し年輪を重ねればそれを上手に隠す術を覚えるだろうが、町井はまだ三十路前と若い。ようやく新米教師から卒業できたばかりだ。本人にも誤解されている自覚はなく、遠巻きにされていることにも気づいていなかった。教師間の付き合いなどこんなものだと思っていたのだ。
 何よりも彼女は常に忙しい。
 担任クラスこそ持たないものの、優生高校の英語教諭は、その教育方針から既存のマニュアルに頼らない授業内容を考えなければならなかった。
 点数を取るのではなく、喋られるようになるための英語。
 それが今のユオ高の指導方針だ。町井はその方針に異論はなかった。むしろ賛同している。が、毎回、新しい授業を創りだしていく作業は想像以上に困難を極めた。それも最初の数年間だけ、と割り切ってはいるが、毎日、授業の準備に追われる日々は結構なストレスだ。更に彼女は部活顧問もしていた。まさに多忙を極めるとはこのことだ。
彼女に二十代という若さがなければ、きっと潰れていたことだろう。また部活動に顧問として参加したことも、かえって良い方向へと彼女を導いた。
 平たく言えば、彼女は充実していたのだ。
 自身でも想像していなかったが、町井は指導者としてもまた高い能力を持っていたようだ。
それを証明するように、彼女が受け持った新しい部は瞬く間に全国に名を知られるようになった。今でもこの部に入るためだけにユオ高を受験する者が後を絶たないぐらいだ。全国一位をはじめ、二位、三位のトロフィーがユオ高の玄関口の硝子の向こうに飾られている。
それは勿論、生徒たちの力によるものだが、だからこそ町井の誇りでもある。
町井が創立から携わるユオ高声優部は、いつのまにか彼女にとってかけがえのない物の一つになりつつあった。
「……ハァー」
 物想いに耽る町井を現実に引き戻したのは、突然聴こえたその辛気臭い溜息だった。
――せっかくの良い気分が台無しね。
 と、少しだけ非難の気持ちを込めてその溜息の主を見つめた。町井に半ば睨まれたその男は、その視線に気づいたものの、気にした様子も見せずに席を立つ。
「どちらに行かれるんですか? 由先生」
 珍しく町井から声をかけたのは、その無視された態度が気に入らなかったからだ。
 良くも悪くも彼女の人生はいつでも彼女が主役だった。
「明日から夏休みですからねぇ。愛好会を見にいかないと」
 気の抜けたような口調で話す由。彼は物理教諭で、いつもよれた白衣を着ている。小さな背に不釣り合いなまでに大きい白衣はいつも床に擦れて裾が汚れていた。
「ああ。そうですか。大変ですね」
 何で声をかけてしまったのか、と半ば後悔しつつも杓子定規な答えを返す。とっとと切り上げてしまいたかった。町井にとって由という教師はあまり好きな人種ではない。むしろ嫌いな方に分類される。背が小さいのも頭頂部が少し薄いのも関係ない。いい年をしながら身嗜みを整えられない輩を人として信用できなかった。
「そうですね。でも僕はたまに顔を出すだけですから。後は連中が勝手に楽しめばいいんですよ。それに来年はもっと楽になりそうですからねぇ」
「まだ解散が決まったわけじゃないでしょう?」
「ははは。時間の問題ですよ。そちらの声優部に勝る点は何一つないですから。あるのは気楽さぐらいですが、それは良いところというより悪いところでしょうからねぇ」
 町井が更にイラっとしたのは、その力無い乾いた笑いに馬鹿にされた気がしたわけでも、彼の白衣のボタンが一つぶら下がって今にも取れそうなのを発見したからでもなかった。
 最初からやる気が見られないその指導者としての態度だ。
「気楽なのは顧問譲りですか」
「んー、どうでしょう。形だけの顧問ですから。むしろ会長ありきだと思いますよ」
「……」
 町井のそれは思わず口を出た当てつけの言葉だったが、由の飄々とした態度を崩すことはできなかった。的確な答えを返されて町井の方が言葉を失う。由という教師は決して頭の回転が悪い教育者ではなかった。だからこそ、町井はその能力を存分に使わないことに腹が立つのだ。
 そのやり取りにも気にした様子を見せずに由は「じゃ、お先に」と職員室を後にした。そのまま声優愛好会の会室へと向かうのだろう。本人が言っている通りのお飾りとして。
 もともと声優愛好会に限らず、愛好会などといった存在には専用の活動部屋はおろか顧問もつくことはない。近い将来、部活動への昇格が見えているか、もしくは物好きな教師でもいない限り、愛好会の名よろしく、ただ愛好者たちが思い思いの場所に集まって好きなジャンルの話しに華を咲かせるだけだった。
 しかし、声優愛好会はそのどれにも当てはまらない。
 それは由の言葉通り、声優愛好会会長の力によるものだった。
 『残念王子』とユオ高は勿論、この界隈で有名な三年生、風月(ふうづき) ()(ゆき)は、町井たち教師にとっては扱いづらい、ともすれば怖い生徒だった。
 彼の後ろ盾が怖いのは事実だが、それだけではない。あの切れ長の瞳の奥に光る知性と、そして微かに宿る狂気が、教師たちを畏れさせていた。
現に町井は、できるだけ風月には関わり合いたくないと思っている。あの生徒を前にすると、自分でさえも気づいていない己の心を全て暴かれ晒されてしまう気がするからだ。
 だが、学園に(主に教師たちに)猛威を振るったその静かなる嵐も、今年を終えれば鎮まることだろう。卒業した風月とユオ高との強い接点は無くなる。
 何故なら、来年には声優愛好会はなくなるからだ。
 事の発端は去年の文化祭。
 あまりにも稚拙な内容を公開した愛好会に対して声優部の一人が暴言を吐いた。
「それでも声優か。お遊びをしたいなら家でやれ。ユオ高の恥め!」
 報告内容に記されたその言葉を確認したとき、町井は背筋が冷たくなるのを感じた。顔は蒼白になっていただろう。
 どんな理由があるにしろ、非は声優部にあった。その暴言は許されるものではない。扱き下ろしたくなる気持ちは分からないわけではないが、結局はただの傲慢だ。
 愛好会の活動が気に入らなければ無視すればいいだけなのだ。わざわざ苛立つために愛好会の発表を観た部員が悪い。更にはその苛立ちをぶつけてしまっては庇い様もない。
 自分の教育が行き届いていないことに己を責めるとともに、愛好会からの追及を想像すると更に気が重くなる町井だった。正確に言うならば、あの会長と対峙すると思うと胃が痛くなる。それが負け戦確定ならば尚更だ。その顔色が蒼白になるのもおかしくなかった。
 しかし、最終的には町井には何の咎も及ばなかった。むしろ、良い方向へと未来が流れたのだ。
「だったら来年の文化祭で勝負よ!」
 それは硝子姫こと愛好会副会長の言葉だ。
 彼らが好きそうな展開ではある。
 宣戦布告だ。
 売り言葉と買い言葉が飛び交い、声優部は所有の録音機材と防音室の自由使用権利を、愛好会はその存亡を賭けて競うこととなった。
 教育者としてはそんな賭けを許すことなどできない。
 しかし、それがまかり通ったのは、ここでもまた声優愛好会会長の力によるものだった。
 その詭弁にも似た論理とそして巧みに自分の後ろ盾の存在をチラつかせ、校長たちを説得してしまった。
 文化祭でのアンケート結果の順位が上の方が勝者、と勝利条件まで取り決めてしまうその力腕に、彼の行く末がどうなるのかと町井は教師として心配した。が、それはきっと不要なのだろう。あの王子はどこまでも己の道を突き進むだけだからだ。だからこそ、残念王子なのだ。
 けれど、どうしてそこまでして愛好会に不利な賭けを成立させたのか、疑問だった。
 しかし、それも風月の一言で氷解した。
「せっかくの大きなイベントに参加できないなんて悔しいですから。・・それに僕らが必ず負けるなんて誰が決めたんですか」
 それは暴言を吐いた生徒を退部処分にすると決めた町井にそれを取り消すように求めた際、風月が言った言葉だった。
 そこに風月の本心が垣間見えた。芝居を知っているものならば、向き合って心を交わせば、言っている言葉が嘘か真かなど簡単に分かる。芝居とはコミュニケーションなのだから。
 風月が大きなイベント(声優部と愛好会の賭け)を立ち上げたいのも事実だが、そこには声優部には負けない、という彼の意地も隠されている。
 その気概は町井の好むものだ。少しだけ彼への苦手意識も払拭されたが、だからといってそのイベントで敗者となるつもりはなかった。勿論、実際、参加するのは生徒たちだ。町井は、声優部が勝つためのサポートをすることしかできない。
 だが、町井は声優部の勝利を信じて疑わなかった。というより、負ける未来を予想する方が難しい。町井自身の指導者としての自負もあったが、今年の部員たちの充実ぶりが町井をそう思わせた。
 去年は全国声優演劇祭にて三位に終わったものの、その経験は更に部員たちを強くした。もともと才能があり実力も高かった現部長や副部長さえ一皮も二皮も向けたのだ。
――だから、彼らには全力を尽くして貰いたかったのだけど……。
 あの教師では無理そうね、と軽く吐息をついた。しかし、愛好会がなくなっても元会員たちが声優部に入部する選択肢はある。勿論、厳しい入部オーディションを通過しなくてはならないが。
 それでもあの教師と一緒にやるよりはましだろう、と己を納得させて町井は職員室を後にした。
 気の毒な愛好会への同情もそこで終わった。
 
 
 
 
「……ハックション!」
「うわ、汚ねえ」
「びっくりさせますね」
「ごめんね。気にしないで」
 会員の非難の声にずずずっと鼻を啜って応える由。白衣の裾で鼻を拭くその作業にほとんどの会員たちが眉を顰めた。
「大丈夫ですか、先生?」
 意外にも硝子姫は、そういうことで人を物差しで見たりしないようだった。スッと由へハンカチを差し出す(ティッシュじゃないことに感動すら覚える)。
「ありがとう。大丈夫」
「そうですか……」
 綺麗なハンカチを汚すほど空気を読めない教師ではないようだった。けれど、硝子姫に若干、落胆のような色が見えた気がしたのは気のせいだろうか。
――何か企んでるのかな?
 心の声が聴こえないのをいいことに失礼な推測をする。
 終業式を終え、明日からの夏休みの活動を話し合っていた僕たち愛好会の許に、顧問である(よし) 楽人(がくと)が訪れたのはついさっきのことだ。終業式が終わってからしばらく経って来たのは、この男のやる気のなさを表している、と紅葉は思っていた。それは愛好会会員たちの総意かもしれない。
 由は基本的に愛好会の活動に何の興味も示さない。全て会長である残念王子にまかせっきりだ。放任主義と言えば聴こえは良いが、結局はサボっているだけだろう。受け持ちの授業もそうだ。ただ単に教科書にある内容を黒板に書き出して、生徒たちはそれをノートに写す。しかし、注釈の量がとんでもないので、その作業だけで授業は終わる。
 それは一見、凄いことに思える。が、紅葉は違う視点を持っていた。
 由は、ただの面倒臭がりなのだ。
 それだけの注釈を書き出すのも、質問などに対応するのが面倒だからなのだろう。この教師は、無駄話はおろか会話自体をしないことでも有名だ。人付き合いさえも面倒なのだ。
 そんな大人が社会にいることは驚きだったが、紅葉は由がそれを自覚してやっていると思っていた。
 由は望んで等身大の己を見せている。
 だから、生徒から本気の批判などは出ないんだろう。建前などの嘘を並べず、いつも本音でこちらと接してくれている。
 そういうことに敏感な生徒たちは、由を嫌うどころかむしろ気に入ってさえいた。
神秘的な声(ミスティカル・ボイス)』とは、そんな生徒たちが隠れて呼ぶ由のもう一つの名だった。
 それには二つの意味がある。たまにしか聴こえない声、という意味と、文字通り、神秘的にさえ感じる美しい声、という意味だ。
紅葉はあまり気にしたことはないが、確かに稀に聴くことができる通った声は、それだけ聴けばかなりのイケメンボイスかもしれない。
――本人があれでは、残念でしかないけれど。
 チビで頭が薄くてデブ。その哀しい三重苦を背負った教師。
 紅葉にとって、由とはそれだけの存在だった。
 それは大多数の生徒も同じ意見だったし、ここ愛好会でも変わらないだろう。
 声優愛好会が成り立っているのは、会長と副会長の二人の存在が大きい。顧問はただ居るだけの存在だ。お飾りであることを誰よりも由自身が望んでいた。それを隠そうともしていない。
だから、今日の話し合いでも一言も発していなかった。
 初めてその口から発せられた言葉が先のクシャミであった。
「じゃ、最初の10日間は各自、家で台本の読み込み。8月からの一週間はここに集まって配役決めと声出し。そして一週間、稽古を詰めたら、お待ちかねの収録&編集でいいかな?」
「それが現実的ね。本音は収録をもっと後にしたいけど、自由に機材を使えないんじゃ、タイムスケジュールも立てられないし」
 仕方ない、と溜息を漏らす副会長。
 会長の案は素人の紅葉にもそれしかないと思わせる完璧なものだった。他のみんなも異論はないのだろう。誰一人口を挟まなかった。
「それじゃ、解散!」
 副会長の号令を合図に愛好会の面々は帰宅の途についた。その足取りは軽く、これから更に読み込む脚本への期待の現れのようだった。
 いや、それは僕の願望なのかもしれない。ただ単にこれから始まる夏休みへの高揚感の可能性が高い。あるTVの見識者の受け売りだけど、中学から高校への環境の変化は、一年生には新鮮で刺激的で、そしてストレスもある。そのバランスを調整するのにも夏休みはとても魅力的なのだ。大半はその夏休みに違う形でバランスを崩すのらしいけど。
 僕にとっても高校生活はとても刺激的だったし、ストレスも多かった。でも、それはギリギリで、ちょうど良いと思えた。それは偏に声優部の存在が大きかった。それとそこにいる彼女の存在も。
――けど・・僕はどうすればいいんだ?
 視線をさ迷わせるようにしてその答えを求めるも、会長も副会長も気づかないようで、すでに帰り支度をまとめている。他の会員たちに至ってはすでに会室を後にしている。
 まんじりとその様子を眺めていた由と目が合った。
「……ぁ……」と何か言いかけたところで紅葉は出かけた言葉を止めた。由の目が、早く帰ってくれないと俺も帰れないと言っていたからだ。鍵をかけるのは会長か副会長の役目(二人が鍵が所有している)だが、顧問には一応、それを見届ける義務がある。いつもは帰りに閉まっているか確認するだけだが、今日は二度手間が面倒なのだろう。
 自分の疑問が些細なものに思えた紅葉はそのまま、そそくさと会室を後にした。
その些細な疑問とは、これからの一週間どうすればいいのかということだ。
――本気で端役を僕にやらせるつもりなのか?
 まさか、と否定したいのは、その方が自分にとって都合がいいからだ。その自分らしい逃げの発想に苦笑を漏らす。
だからといって台本を読み込んでもその不安は消えないだろう。
 もう誰よりもあの台本を読み返している。すでにその内容は忘れようとしても頭から離れないぐらいに刻まれていた。けれど、一週間、何もしないのでは不安でしょうがない。分かっているのは、そんな不安は考え込んだところで解決されることはないということだけだ。
「…………いいか」
 と誰にも聴こえない声で呟いて、思考を切り替えた。思えば、ここ数か月は、脚本を仕上げることで一杯いっぱいだった。今日ぐらい羽を伸ばしたところで何の罰が当たるものか。
――そうと決まれば……!
 小走りで駆け出す。とりあえず一度、帰宅してから着替えて街に繰り出すつもりだった。
 向かうは、ずっと自ら禁止していた行きつけのゲームセンター。
今日は解禁。
 一仕事終えたあとの充実感に浸りながら、今日だけは自由気ままに過ごすことを、紅葉は自分自身に許可した。

・・・続く
2023年07月02日 13:12

原作『声優愛好会にはアイがなくっちゃ♡』⑤

01
勇司郎:
「…………逃がさぬぞ。妖!」
鉄心:
「儂の錆になるがいい」
〇闇の森を若い青年が疾駆する。その腰には妙な存在感を放つ一振りの刀が佩かれている。
ナレーション:
「昭和百年。
呪術国として世界に畏れられる日本国は、鎖国を解くことなく独自の発展を遂げていた。
その源となる呪術を操る者の名は『闇祓い』。
人の世に救う闇である妖を祓う術を持つ者たちの総称だった」
勇司郎:
「ここまでだな。妖」
妖:
「グゥウ……!」
〇上段にその刀を構える勇司郎。しかし、その刀は止まったままだった。
鉄心:
「何故、儂を止める。勇司郎、迷うな」
勇司郎:
「分かっている。でも相手はまだ人間だ」
鉄心:
「まだ、な。しかし、為りかけの妖はいずれ人であった過去を棄て完全体へと変わる。
 それは決定事項だ」
勇司郎:
「分かっていると言った」
鉄心:
「ならば、責を果たせ。それを支えるが我の役目」
ナレーション
「妖とは元人間で、闇に心を染めた者が異形の姿となった結果だった。
 しかし、その原因の詳しいところを知る者はいない。それは妖自身も知らない。
 そして人とは違う存在もあった。
 『物の怪』である。
 大きく分けてその存在は二種類あった。
 物が怪に転じたモノと、者が怪に転じたモノだ」
勇司郎:
「人であるうちに往け」
〇覚悟を決めるが、その勇司郎が鉄心を振り下ろすことはなかった。
SE:銃声
〇一瞬、生まれたその隙を突いて逃走を図る妖。
勇司郎:
「……!」
鉄心:
「……追わぬのか?」
勇司郎:
「いいさ。・・今の銃声。竜造寺に何かあったに違いない。戻るぞ」
鉄心:
「やれやれ。神代家の当主はどれも甘い奴らばかりだな」
勇司郎:
「ふん。妖。今は見逃してやる。・・人間に戻れ」
ナレーション
「人間対妖。
 その構図に物の怪が絡む。それが今の日本国の現状だった。
 結局は、人の最大の敵は人で在った者。
 その負の連鎖は、独自の発展を遂げた日本国でも逃れられぬ宿命だった。
 人の世から闇は消えない」
 
 
「……良いわねっ!」
 みんなが出来たてのシナリオに目を通す中、最初に声を発したのは副会長だった。
 目を通して5分だから、まだ序盤を読んだだけだろう。その評価は全てに目を通したときに覆されるかもしれないけど、今は素直に喜んでおこうと僕は思った。
 終了式が終わり、明日から夏休みが始まる。これが僕ら声優愛好会の一学期、最後の活動だ。
 夏休み目前の活動のトリを飾るのは文化祭用の脚本のお披露目だった。
僕は何とか脚本の仕上げを間に合わせることができたのだ。
 副会長の称賛の声が心地好く耳に響く。
 約3か月の間、旧式のPCとにらめっこした苦労が報われた気がした。あれほど苦しんだ日々が今ではとても大切に思える。そしてその日々を共に過ごしたこのPCは、もはや戦友のように愛おしく思えた。
 そんな自分の心を可笑しく思いつつも湧き上がる高揚感は収まりそうになかった。
 みんなが次々と口にする感想がそれに拍車をかける。
「現代より先の話しなのに、古風な世界観が良い味を出してるね」
 いつもの口調に少しだけ驚嘆の色を混ぜる会長。
「僕は前回のものより好きですね」
「俺も俺も」
 二年生コンビの鈴木がしみじみと、そして椎名が軽い調子で褒め称えた。
「やるなん」
「……私、好きよ」
 次々と送られる賛辞の言葉に、僕は俯いてしまった。
 けれど、それはいつものものとは違って、自己嫌悪から来るものじゃない。
 恥ずかしくて、でもそれ以上に誇らしかった。
「問題を上げるとすれば登場人物の多さかしら?」
 脚本の先を読み進めていた副会長の指摘に僕は俯いたまま、床を見つめていた。
 その事実に僕は書いている最中に気づいていた。けれど、そういう内部事情を気遣って物語りが作れるほどの力を僕は持っていなかった。キャラクターが動きたがるままに、台詞を、話しを創っていくだけだ。
 それは今までの妄想を形にしていくような作業だったけれど、それ以上に楽しく、そして充実感が得られる作業だった。
 でも、だからといって人手不足の現状を変えられるわけもない。
 メインキャストで、男性3名、女性3名必要だった。それは勿論、狙って書いたわけではないが僕を除いた愛好会会員たちとちょうど同じ数だ。が、それ以外のサブキャラなどもあり、副会長のキャスト不足の指摘は的を射ている。
 声優愛好会がこれにどう対処するか。そもそも対応できるのか。
――声優部だったら……。
 と突然に湧いた自分の心の声に、ギョッと驚く。
 下を向いていたため、他の会員たちに気づかれなかったことは幸いだった。この前に流れたあの微妙な空気の再現だけは遠慮したい。
 けれども、声優部だったらこんな悩みなどは発生すらしないだろう。それどころか、より良いキャストを選ぶためにオーディションもできるかもしれない。
 あの時、声優部部長が言っていた、可能性を拡げる、という意味を今になって僕は実感した。
だって、今、僕は自分の作品を発表できなくなる危機にあるかもしれないから。
 それは僕の可能性を閉ざすことに繋がっている。それが嫌だと思うから湧き出した想いだったんだ。声優部だったらそんなこと問題なんてならないのに、と。
「確かに登場人物は多いね。メインで埋まってしまう。・・でも何とかできないこともない」
「ダブルキャストにも限界はあるわよ?」
「そうだね。でも幸い、明日から夏休みだ。戦力を増やせないこともない」
 見つめ合う残念王子と硝子姫。
 けれど、そこに恋のロマンスなどの雰囲気は微塵も感じず、むしろ悪巧みをする敵役コンビのように見えた。
 でも、戦力を増やすって言ってもどうするのだろう。
――新しい会員を勧誘するのかな?
 けれど、それは夏休みの方が難しい気がした。明日から学校に来るのは一部の生徒だけだ。それも大半が部活関係だろう。つまり、勧誘する生徒たちが集まる場所がない。
 だけれど、そんな当たり前の発想を、良識を知る二人(片方は知っていてそれを裏切るから残念と呼ばれているけど)が想像しないわけはない。
 きっと良いアイディアがあるに違いない。そう期待の眼差しを込めて顔を上げる。
 でもそれはすぐに困惑に変わった。
 残念王子と硝子姫。
声優愛好会の双璧がじっと僕を見つめていた。それぞれの口許には、それだけで悪役と分かる含み笑いのようなものが添えられている。
「期待しているわ(よ)」
 はもるように重なる二人の言葉を、僕は理解したくなかった。
 その僕を無視するようにして、他の会員たちが大きく頷いた。面白がるような視線も混じっている気がするが僕は気づかない。いつものように俯いたからだ。そうすれば嵐が過ぎ去ってくれると信じて。
 でもその嵐にすでに僕は巻き込まれていることを告げられた。
「明日の夏休みから特訓だなん」
 その屈託のない明るい声に僕は逃げられないことを知る。抵抗できないと言い換えてもいい。
「おう!」「よし!」「やろう」と皆がそれぞれの掛け声をあげる。
 あの椋橋さえ、小さな声で「……おう」と拳をあげた。
 観念した僕もまた小さく拳をあげてその輪に加わる。
 声優愛好会。
 やはりここが僕の居場所なのか、と諦めるように、けれども望んで、受け入れた。
「……楽しそう」
 椋橋の指摘に僕は自分が笑っていることに気づいた。
 そういう椋橋も、そして会員たち全員の顔にそれぞれの笑顔が浮かんでいる。
 なんかいいなぁ、とまた僕は笑った。

・・・続く
2023年07月01日 13:30